白市では平安時代末期には真言宗法乗院(現在は浄土真宗養国寺)を含む寺院群が形成されており、戦国時代の文亀三年に平賀氏十五代平賀弘保がこの地に移り、城山城を築いて以来、城下町として発展しました。
江戸時代になると、平賀氏の分家である木原家の子孫がこの地に入り、一族が製塩、酒造、両替などを手掛ける芸南地方有数の豪商となってからは、白市は商業の町として発展し、地域経済の中心として非常に賑わいました。
そのころから、白市では、三次、久井とならんで牛馬市が開かれるようになり、最盛期には一日500頭にも及ぶ牛馬が集まったと言われています。
市の期間中には、上方から歌舞伎役者を招き、長栄座という劇場で歌舞伎が上演されました。長栄座は江戸時代に浅野藩内で歌舞伎興行が可能な3カ所のうちの一つとして設置されたことから、白市は文化の中心としても繁栄したことが伺えます。
こうした繁栄は第二次世界大戦後まで続き、現在も残る重要文化財木原家住宅をはじめとする往時の街なみが、当時の繁栄の様子を伝えています。
※ BS朝日「百年名家」で白市の町家が紹介されました(2015年)
↓白市まちなみ探訪マップへのリンク 東広島市観光協会